内田勝規の年齢と経歴プロフィール!批判を乗り越え100億バイヤーへ【カンブリア宮殿】
奇跡のカリスマバイヤーと呼ばれた内田勝規さん。
北海道物産展では「生キャラメル」や「牛乳プリン」がブレイクするきっかけを作った立役者としても
知られています。
そんな内田勝規さんはいったいどのような方なのか調査してみました。
今回の内容です↓
- 内田勝規の年齢などwikiプロフィール
- 内田勝規の学歴(出身高校・出身大学)
- 内田勝規の経歴 批判に負けず売り上げ100億のカリスマバイヤーへ
内田勝規の年齢などwikiプロフィール
まずは、内田勝規さんの年齢、出身などwikiプロフィールから見ていきましょう。
名前 | 内田勝規 |
読み | うちだ かつのり |
生年月日 | 1957年5月3日 |
年齢 | 64歳 |
出身地 | 東京都練馬区 |
職業 | 実業家 |
肩書 | 株式会社内田オフィス代表取締役会長 カリスマバイヤー(売り上げ100億達成) |
内田勝規の学歴(出身高校・出身大学)
次に内田勝規さんの学歴についてご紹介します。
出身高校や出身大学を調べてみました。
出身高校は?
内田勝規さんの出身高校は「中央大学杉並高等学校」です。
中央大学杉並高等学校は東京都杉並区の私立高校で、偏差値は現在68でした。
東大を始め旧帝大や早慶上智、MARCHなどに多数の合格者を輩出している難関高校です。
中央大学杉並高等学校出身の著名人にはこのような方がいらっしゃいます。
・横田濱夫(作家)
・髙塚大夢(アイドル(INI))
・国山ハセン(アナウンサー)
・若狭繁行(元スキージャンプ選手)
・永井浩二(野村ホールディングスCEO)
出身大学は?
内田勝規さんの出身大学は「中央大学」です。
中央大学は、明治大学や立教大学などと並びMARCHと呼ばれる難関私立大学のひとつです。
偏差値は学部にもよりますが現在は52.5~62.5でした。
中央大学出身の著名人にはこのような方がいらっしゃいます。
・阿部慎之助(プロ野球選手(読売ジャイアンツ所属))
・奥田圭(タレント)
・園田拓也(プロサッカー選手)
・岸谷五朗(俳優)
内田勝規の経歴 批判に負けず売り上げ100億のカリスマバイヤーへ
続いて内田勝規さんの経歴についても調べてみました。
いかにして内田勝規さんは批判を乗り越え、売り上げ100億円を達成したのか。
そのストーリーをご紹介します。
東武百貨店へ入社
内田勝規さんは大学卒業後の1981年、株式会社東武百貨店に入社します。
入社後はCI委員会事務局や増床プロジェクト担当としての仕事を任されました。
その後、物産関係担当へとシフトし、さらなる経験を積みました。
北海道物産店にバイヤーとして携わることに
物産展担当になってからはまず「新潟物産展」を担当。
勝手がわからず、かなり苦労をしたのだそうです。
それから2001年には「北海道物産店」の企画や運営の担当へ。
いわゆる「バイヤー」としての仕事でした。
バイヤーというと「買い付け担当の人」と思われがちですが、物産展をはじめ催事全般の企画や商品計画、
売上管理などが主な仕事なのだそう。マーチャンダイジングとも言われています。
内田勝規さんはこの「北海道物産展」を業界ナンバーワンにせねばと、まずは名店探しのため自ら札幌や帯広など北海道中のありとあらゆる地域を駆け回ります。
地元ならではの希少なものを発掘するため良さそうなお店や商品を見つけては、
物産展に出店してもらえるようにと何度も何度も交渉を重ねていきました。
もちろん出店を断られることもあったそうですが、それでもめげずに頑張る姿は凄いとしか言いようがありませんね。
北海道物産店を開催 一方で家族のからの批判も
無事、北海道物産店を開催。宣伝のために様々なメディアに出演しPR活動も欠かしませんでした。
ところが家族からは大批判を受けることになります。
あまり目立つことはしてほしくなかったのでしょうね。
そして大病を抱えていた母親が危篤状態へ陥るという度重なる不幸を経験します。
こういったこともあり、さすがに仕事も辞め時かと思い、退職を考えるようになります。
ある一言で再起を決意し、日本一へ
そんな折、テレビ司会を務めるキャスターからこんな一言が。
「こんな豪快に、こんなにたくさん。」
北海道物産店の紹介を行っていた際の言葉でした。
内田勝規さん自ら買い付けた商品の魅力がこの一言に詰まっていると再起を決意。
北海道物産店は大成功を収め、これまでの年間売上げ1億2千万円を大幅に上回る16億円にまで
伸ばすことにも成功しました。
そしてこの売上げの記録はなんと日本一なのだそうです。
東武百貨店ではこの北海道物産店を年3回ほど開催。
約10年間で売り上げ最終的には100億円を突破するまでになるという大偉業を達成!
「北海道物産展といえば東武」と言われるようになっています。
その結果、東武百貨店は業界ナンバーワンへと返り咲き、内田勝規さんはカリスマバイヤーの異名を
とるまでになりました。
そして、「鹿児島・奄美大島物産展」でも同じように大成功を収めています。
その功績が讃えられ、2009年にエグゼクティブバイヤーへと就任しました。
株式会社内田オフィスを設立
翌2010年には東武百貨店を退職し、株式会社内田オフィスを設立しました。
吉本興業の物産展をプロデュースするなど、現在は日本全国、海外での物産展、企画、商品等の
プロデュースを手掛けています。
まとめ
今回は売り上げ100億を達成したカリスマバイヤーの内田勝規さんについて、年齢などwikiプロフィールや
経歴をご紹介しました。
カリスマバイヤーとして売り上げ100億というとんでもない大偉業を成し遂げた内田勝規さん。
まさに物産展の神様と言える存在ですね。
それでは最後までお読みいただいてありがとうございました。
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