吉田克幸の年齢やwiki経歴プロフィール|嫁(妻)や息子の家族構成【SWITCHインタビュー】
ファッション界を牽引してきたポータークラシック会長を務めるの吉田克幸さん。
吉田カバンと聞くと分かる方もいるかもしれませんね。
バッグを始め、財布なやペンケースなど小物に至るまで様々な商品を手掛けています。
今回はそんな吉田克幸さんにスポットを当てて、いろいろと調査してみたことをまとめてみました
のでご紹介します。
今回の内容です。
・吉田克幸の年齢などwikiプロフィール
・吉田克幸の経歴
・吉田克幸の家族 嫁(妻)や息子は?
吉田克幸の年齢などwikiプロフィール
まずは吉田克幸さんの年齢や出身地などwikiプロフィールから調べてみました。
名前 | 吉田克幸(よしだかつゆき) |
生年月日 | 1947年 |
年齢 | 75歳 |
出身地 | 東京都 |
肩書 | ポータークラシック会長 |
吉田克幸の経歴
次に、吉田克幸さんの経歴も調べてみました。
仕事熱心な父親のもとに生まれる
吉田克幸さんは1947年生まれの東京都の下町出身です。
吉田カバンと呼ばれる株式会社吉田の創業者である吉田吉蔵さんの5人兄弟の末っ子として生まれました。
父・吉田吉蔵さんは自身の仕事に対しては非常に厳しい方だったそうです。
高校から大学まで無事進みましたが、慶應義塾大学商学部を中退。
人間関係など大学生活が苦痛だったのだそう。
偶然の兄の提案で海外へ
戦後世代だった吉田克幸さんは特にアメリカの文化に興味を持っていました。
ジャズやファッションなど日本にはなかった文化に刺激を受けたことが理由でした。
「実家の仕事は兄に任せるし、でもそうなると自分の居場所がわからない。」
そう思っていたそうです。
ある時兄からドイツへ行ってみたらどうかと提案を受け、いっそのこと行ってみよう
と思い立ちました。
ドイツやイギリスのロンドンで過ごすうちに文学や音楽、アートなど新しい文化に触れ
たことが吉田克幸さんに大きな影響を与えたのだそうです。
1970年代はヨーロッパ、そしてアメリカで多くの時間を過ごしました。
このままアメリカで仕事を見つけよう、当時はそう思っていたのだそうです。
両親に会いたいと帰国し、株式会社吉田へ
両親は決して帰ってくるようには言わなかったそうですが、ふと両親を想い帰国します。
そして、吉田克幸さんは株式会社吉田へ入社することになりました。
入社後は、商品管理部での革製品の管理や仕入れなどに携わりました。
1981年には日本人で初めてニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブという世界的な
著名デザイナー集団のメンバーに選出されました。
吉田克幸さんはこの時を振り返って、海外の経験が活きたと語っていたそうです。
息子・玲雄と独立を果たす
最終的に株式会社吉田の社長になるまで実力をつけた吉田克幸さんですが、
息子の玲雄さんと2007年にポータークラシックを設立しました。
独立した当時、吉田克幸さんは60歳。
」
「死ぬまでにどれくらい自分らしく仕事ができるか」
とにかく限界に挑戦したかったのだそうです。
「これからは本当に気持ちのいいバッグを作ろう」
息子の玲雄さんと心に誓います。
老若男女問わずバッグを使って欲しい、そんな願いがありました。
その願いはファッション物作り界を牽引し続ける現在も変わらず吉田克幸さんの
心に生きているそうです。
吉田克幸の家族 嫁(妻)や息子は?
続いて吉田克幸さんの家族についてもご紹介します。
嫁(妻)や息子を調べてみました。
吉田克幸の妻(嫁)
吉田克幸の妻(嫁)はかつてチェコスロバキアから亡命してきた「ズデナ」さんという方です。
1973年にハワイで結婚をしたのだそうです。
ズデナさんの写真がこちら↓
吉田克幸の息子
吉田克幸さんとともにポータークラシックを設立したのが、息子・吉田玲雄(れお)さん。
ポータークラシック取締役としてクリエイティブディレクターを務めています。
また、写真家やライターとしても活躍しているとても多彩な方です。
「ホノカアボーイ」という小説は映画化もされています。
まとめ
今回の記事では、ポータークラシック会長を務める吉田克幸さんにスポットを当てて、
wikiプロフィールや経歴、家族(妻(嫁)や子供)についてご紹介しました。
吉田克幸さんが日本に与えた影響は相当なものですし、ファッション界のレジェンドと言っても
過言ではない存在ですね。
これからもさらに活躍されることを願っています。
それでは最後までお読みいただいてありがとうございました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません